島嶼研シンポジウム
「先史時代種子島の謎」
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日時:令和3年10月23日(土)13:00~17:00
会場:西之表市民会館301会議室(西之表市西之表7600)
主催:鹿児島大学国際島嶼教育研究センター
中継:国際島嶼教育研究センター会議室、奄美分室、オンライン
後援:西之表市教育委員会、中種子町教育委員会、南種子町教育委員会
参加費:無料(事前登録が必要です) |
・プログラム 要旨 ・English Page
●趣旨
先史時代とはヒト(Homo sapiens)が出現して文字が利用されるまでの時代を指す。先史学とは過去において文字を持たなかった人々の文化を研究する学問である。種子島においては約3万5000年前から8世紀までが先史時代ということになる。1970年代以降の高度成長期に伴い、遺跡の発掘件数が激増し、日本列島の先史時代のベールが次々と剥がされた。種子島においても同様に近年の発掘調査により、この島にいつヒトが登場し、どのような文化があったのかが明らかになりつつある。例えば種子島においては縄文時代から古墳時代にかけて、「ある時期」を除いて、鹿児島を含む南九州から強い影響を受けた時代・文化が存在したことが判明している。
本シンポジウムでは、この「ある時期」を「謎」の時期として焦点を当てたい。このある時期とは「弥生時代後半から古墳時代」である。この期間、鹿児島(南九州)とは異なり、独自の土器文化が種子島で成立している。種子島のこの時期における最大の「謎」はこの島で暮らした人々の生業(何を主に食していたか)である。目と鼻の先にある南九州では弥生時代前期にはすでに稲作農耕が導入されていた。大隅諸島の南に位置する奄美・沖縄諸島では8世紀から12世紀に農耕がひろまったことが明らかになっている。この奄美・沖縄諸島の農耕は北からもたらせており、種子島・屋久島をそのルートとして拡散したのである。では、種子島(大隅諸島)の状況はどのようなものであったのであろうか。
この問いの答えをより一層理解するために、本シンポジウムでは4つのテーマについて考察する。まず、奄美・沖縄諸島における農耕の始まりについて。つぎに鹿児島を含む南九州における農耕の起源とひろがりについて。種子島の北と南における状況を紹介したのち、この時期における種子島の生業を土器圧痕分析と出土遺物の分析をもとに検証する。
●プログラム
12:30 受付開始
13:00 開会・趣旨説明
13:05 『奄美・沖縄諸島における農耕のはじまり』
●高宮広土(鹿児島大学国際島嶼教育研究センター)
13:45 『弥生時代における南九州の農耕について』
●川口雅之(文化庁文化財第二課)
14:25 休憩
14:40 『土器圧痕から種子島の栽培植物を探る』
●中村直子(鹿児島大学埋蔵文化財調査センター)
15:20 『種子島の先史文化にみられる生業の特徴と変遷』
●石堂和博(広田遺跡ミュージアム)
16:00 休憩
16:15 総合討論
17:00 閉会
(ポスターpdf)
●問い合わせ先 連絡・問い合わせ先
鹿児島大学国際島嶼教育研究センター
〒890-8580 鹿児島市郡元一丁目21-24
電話:099-285-7393 Fax:099-285-6197
E-mail: shimaken@cpi.kagoshima-u.ac.jp |