鹿児島大学
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国際島嶼教育研究センター
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鹿児島大学重点領域研究(島嶼)シンポジウム
「奄美・沖縄諸島先史学の最前線」
日時:平成29年1月22日(日)13時~17時
会場:奄美市名瀬末広町14番10号奄美市AiAiひろば2階
中継:鹿児島大学総合教育研究棟5階国際島嶼教育研究センター会議室
主催:鹿児島大学国際島嶼教育研究センター
共催:奄美市、奄美群島広域事務組合
後援:鹿児島大学かごしまCOCセンター
参加費:無料
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案内ページ
・当日の様子
平成29年1月22日(日)に鹿児島大学重点領域研究(島嶼)シンポジウム「奄美・沖縄諸島先史学の最前線」を開催いたしました。当日は130名を超えるの皆様方に御参加いただき、盛会となりました。
●趣旨
先史時代とは文字のない時代を指します。文字がない時代ですから、この時代を理解するためには考古学的アプローチや人類学的アプローチが主になります。この20年ほど奄美・沖縄諸島ではより詳細な分析方法や新しい分析方法が導入され、先史時代の様相がかなり理解されてきています。このシンポジウムでは、その一部を奄美の皆様に還元したく企画されました。
テーマは以下の6本です。①近年の研究で大変盛んな研究がDNA(ミトコンドリア)分析で、人間集団がどこから来たのかがかなりわかるようになりました。この分析から奄美・沖縄諸島の人々のルーツを探ります。②奄美群島より出土した古人骨分析により、私たちの遠い祖先がどのような顔つきや体型をしていたか、そしてその変化について紹介します。③古人骨の炭素・窒素同位体分析を行うことにより、その人が生前どのような食糧を食べていたのかが理解できるのですが、この分析方法により、先史時代人の食性の復元を試みます。④遺跡から脊椎動物の骨を回収して、先史時代人がどのような脊椎動物を食べていたのかを説明します。主な食料源はイノシシだったのでしょうか。サンゴ礁の魚だったのでしょうか。⑤遺跡より貝類を回収して、先史時代人がどのような貝類を食料として利用していたのかを解説します。トビンニャ(ティラジャー)は昔も良く食されていたようですが、他にどのような貝類を食べていたのでしょう。⑥奄美の先史時代人にとって植物食は重要な食料源でした。彼らはどのような食料を利用していたのでしょうか。いつ頃農耕が始まったのでしょうか?難しそうなテーマをわかりやすく、お話ししたいと思います。
多数の方のご参加をお待ちしております。
●プログラム・要旨
12:30 受付
13:00 開会・趣旨説明 新里貴之(鹿児島大学埋蔵文化財調査センター)
13:05 挨拶 前田芳實(鹿児島大学長)
13:10 『DNAからみた南西諸島集団の成立』
●篠田謙一(国立科学博物館人類研究部)
【要旨】
日本人の起源については、これまで様々な学問の分野で研究が行われているのにもかかわらず、その意見は一致してない。その中で、DNAを用いた研究は、ヒトの遺伝的な系統を過去から現在まで正確に追求することができるために、近年非常に重要な学問分野となっている。
南西諸島は、日本列島の南西部に位置しており、その地理的な位置から台湾や東南アジアから日本列島にヒトが侵入するルートに相当する。その南西諸島内では、考古学的な調査によって貝塚時代から近世にかけての遺跡が発掘されており、人骨も発見されている。
奄美を含む南西諸島では、12世紀頃までに生活のスタイルがそれまでの狩猟採集から農耕へと変化する。狩猟採集生活をしていた古代の人々と農耕をもたらした人々の関係については、特に興味が持たれるが、その実態についてはほとんど分かっていない。その中で人骨のDNA分析は、それを解決する最も有効な方法であると考えられる。今回、我々は南西諸島の集団の遺伝的な特徴を知る目的で、この地域の新石器から近世に至る様々な遺跡から出土した人骨のDNA分析を行った。
その結果、南西諸島における古代から近世にかけての遺伝的な連続性を確認することができた。しかしながら、解析した個体はそれ程数が多くはなく、結論は限定的である。そのためより正確な結論を得るためには、今後、さらに多くの個体の分析を続けていく必要がある。
13:40 『奄美諸島から出土した古人骨』
●竹中正巳(鹿児島女子短期大学生活科学科)
【要旨】
奄美諸島では、近年、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島で埋葬遺跡や古墓の発掘や調査が行われ、縄文時代から近世にかけての古人骨の出土が相次いでいる。特に喜界島では、この十数年の間に、城久遺跡群、手久津久遺跡群、長石の辻遺跡から中世人骨が多数出土している。中でも、手久津久遺跡群からの出土数は300体を超える。奄美大島でも、屋鈍遺跡(宇検村)から中世人骨が、徳之島では下原洞穴遺跡(天城町)から縄文人骨、面縄貝塚(伊仙町)からは縄文・中世・近世人骨が、トマチン遺跡(伊仙町)からは縄文人骨が出土している。沖永良部島では和泊、知名の両町内の古墓の調査が行われ中・近世期と考えられる古人骨の調査が行われた。加えて、大山水鏡洞遺跡(知名町)から貝塚人骨が鳳雛洞遺跡(知名町)から中世人骨が出土している。
今回のシンポジウムでは、近年の奄美諸島から出土した古人骨を紹介し、各時代の奄美の人々の顔つきや体つき、埋葬風習について若干の考察を行った結果を報告する。
14:10 『骨の化学分析からみた南西諸島の人々の食生活』
●米田 穣
1
・覚張隆史
2
(
1
東京大学総合研究博物館、
2
金沢大学国際文化資源学研究センター)
【要旨】
日本列島で一番南に位置する南西諸島は、日本列島における人類の歴史を理解する上で非常に重要である。第一に現在の温暖な環境になる以前の更新世と呼ばれる1万2千年よりも古い時代の人骨が沖縄島や石垣島、宮古島で発見されている。本州では浜北根堅遺跡の1か所から発見されているだけなので、ヒトの直接的な証拠として極めて重要だ。資源の限られた島の環境で、野生の動植物を利用してどのように生活してきたのだろうか?また、日本列島と中国や台湾、朝鮮半島がどのように交流してきたのかを理解する上で、古代から歴史時代の南西諸島は極めて重要な地域でもある。例えば、近年の発掘調査によって喜界町の城久遺跡群・崩り遺跡では、大陸産の陶磁器や製鉄遺構などが発見され、比較的小さな喜界島に地域の中心となるような、先進な技術をもった政治的に重要な拠点が存在したことが明らかになった。実はこれらの遺跡からは、いくつかの人骨も発見されており、当時の人々の姿や生活を我々に知らせてくれる。我々は、古人骨に残存する炭素・窒素同位体比から喜界島にくらした古代・中世の人々の食物を推定したところ、時代によって食生活は変化する興味深い結果が得られた。喜界島に暮らした人々では時代とともにアワなどの雑穀が重要になっていた。中央や大陸との結びつきがあった喜界島は特別な食生活だったのか、遺跡との比較で考察する。
14:40 休憩
14:50 『奄美の遺跡から出土する貝』
●黒住耐二(千葉県立中央博物館)
【要旨】
約1万年前からの奄美・沖縄の先史時代は貝塚時代と呼ばれ、サンゴ礁での漁撈―採集社会が続いており、サンゴ礁の厚質の貝類を様々な製品や交易品として利用していた。奄美の遺跡から出土する食用の貝類では、マガキガイ・ヤコウガイ・シャコガイ類などの現在も好まれている種が主体で、味覚は数千年間、変わらなかったとも言える。
超大形のサザエ、ヤコウガイは奄美の遺跡に特徴的な貝の一つである。6~9世紀には、奄美大島の遺跡から本種が大量に出土し、螺鈿の原材料として貝殻が他地域(ヤマト≒日本本土と中国という2説)へ運ばれたヤコウガイ交易が想定されている。この交易が10~12世紀頃まで続くという考えもあるが、私は、この時期に本種が極めて多い遺跡が存在せず、後半の交易に関しては今後の検討が必要だと思っている。
安定した漁撈―採集社会を続けてきた奄美も平安時代末頃には、穀類農耕社会に劇的に変化した。未だ、この変革期の状況は明らかにできていない。
貝塚からは、食用ではない小さなカタツムリも時に多数抽出できる。カタツムリは、その移動性が極めて小さく、島ごとに固有種となり、また環境の変化に敏感な動物でもある。現在は島中央部の原生林にのみ生息するエラブマイマイが沖永良部島の海岸部の住吉貝塚から多数出土した例や同島の鳳雛洞では島から絶滅した種も確認している。遺跡出土のカタツムリから人間による環境改変を考えることができるのである。
15:20 『遺跡出土脊椎動物遺体からみた奄美・沖縄の動物資源利用』
●樋泉岳二(早稲田大学教育学部)
【要旨】
奄美・沖縄諸島の遺跡からは多くの脊椎動物(魚類や鳥獣類など)の骨が出土する。これらの資料を分析した結果、①7500年前~5000年前ころ(貝塚時代前1~前2期)、②5000年前~10世紀ころ(貝塚時代前3期~後期)、③グスク時代~近世の3つの時代によって、動物資源利用の様相が明確に変化することが明らかになってきた。貝塚時代前1~前2期はイノシシ狩猟が中心だが、6000年前ころから魚が急増する。その原因は明らかでないが、サンゴ礁の形成や九州縄文文化の影響が関わっている可能性がある。貝塚時代前3期~後期は、サンゴ礁域での漁労とイノシシ猟を中心とした様相が3000~4000年間にわたって継続する。島という限られた環境の中で人と自然との共生関係が非常に長期間にわたって続いたこと、この驚くべき持続性は世界的に見ても特筆されるものである。グスク時代(11世紀以降)には本格的な農耕の開始に伴って、農作業の役畜として重要なウシをはじめとして、ウマ、ブタなどの飼育動物が急増する。沖縄諸島では森林性のリュウキュウヤマガメが激減することから森林伐採が進んだことが示唆される。漁労は衰退し,長らく続いてきたサンゴ礁との結びつきが急速に弱まる。このように,グスク時代における農耕の普及は人と自然の関係性の全体的・複合的な変化をもたらしたものと考えられる。
15:50 『奄美・沖縄諸島先史時代人の植物資源利用』
●高宮広土(鹿児島大学国際島嶼教育センター)
【要旨】
「奄美・沖縄諸島のような南方地域で活躍する狩猟採集民にとっては、植物食は生存するためには不可欠な食資源である」と学生の頃に学んだ記憶がある。その頃、先史時代における植物食利用はほとんど理解されていなかった。そこで、この方面で研究を実施しようと考え、重鎮に相談したことがあった。すると彼から「この地域では先史時代の植物食利用を知る手がかりとなる植物遺体(種子など)を回収することは大変困難だよ」というアドバイスを頂いた。
20数年前、植物遺体を回収するためにフローテーションという装置をこの地域に導入し、遺跡から土壌をサンプルし、その中から植物遺体の検出を試みた。重鎮の方のおっしゃった通り、目的とするものは土壌サンプルを多量にフローテーション処理したにもかかわらず、とても少ない量だった。しかし、その検出された少量の植物遺体から、先史時代の植物食利用が見え始めてきている。
そのうちとても重要な点が二点判明しつつある。一つは先史時代に実際に狩猟採集民が存在していたことである。世界的にみると奄美・沖縄諸島のような島で狩猟採集民が存在した島は他にない可能性がある。二点目は狩猟採集の時代から農耕への変遷の時期が明らかになりつつあることである。奄美諸島では8世紀から12世紀で、沖縄諸島では9世紀から12世紀あたりと考えられる。二点目は農耕への変遷は奄美諸島でまず起こり、それから南下したことを示している。
16:20 休憩
16:30 質疑応答・総合討論
17:00 閉会の辞 河合 渓(鹿児島大学国際島嶼教育研究センター長)
●ポスター
(ポスター
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●当日の様子
シンポジウムの様子
前田芳實学長の御挨拶
総合討論の様子(司会:新里貴之先生(鹿児島大学埋蔵文化財調査センター))
米田 穣先生(東京大学総合研究博物館)(左)、篠田謙一先生(国立科学博物館人類研究部)(中央)、竹中正巳先生(鹿児島女子短期大学生活科学科)(右)
黒住耐二先生(千葉県立中央博物館)(左)、樋泉岳二先生(早稲田大学教育学部)(中央)、高宮広土先生(鹿児島大学国際島嶼教育センター)(右)
会場からの質問
中継をした鹿児島大学郡元キャンパスからの質問
閉会の辞(河合 渓センター長)
●問い合わせ先
連絡・問い合わせ先(奄美)
鹿児島大学国際島嶼教育研究センター奄美分室
〒894-0032 鹿児島県奄美市名瀬柳町2-1
電話:0997-69-4852 Fax:0997-69-4853
E-mail: amamist@cpi.kagoshima-u.ac.jp
連絡・問い合わせ先(鹿児島)
鹿児島大学国際島嶼教育研究センター
〒890-8580 鹿児島市郡元一丁目21-24
電話:099-285-7393 Fax:099-285-6197
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