国際島嶼教育研究センター
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ヤップを中心としたミクロネシア連邦
現代史年表

西暦 できごと
前1500 マリアナ諸島にオーストロネシア語族の集 団が移住する。
1521 マゼランが率いるスペイン艦隊がグアムに寄 港する。
1525 ポルトガル人ディオゴ・ダ・ロシャがウリシ ー環礁に到達。
1869 ドイツ人商会がヤップに交易拠点を置く。
1874 スペインがカロリン諸島の占有権を主張。
1885 ドイツがマーシャル諸島を保護領化。さらに ポーンペイ、ヤップに国旗を掲げ領有を宣言。スペインとの関係が緊張。
1886 ローマ教皇レオ13世の仲裁で、スペインはポ ーンペイ、ヤップの領有権を、ドイツは通商権を獲得。スペインはヤップに統治官を 置き、最初のカトリック教会を設置。
1888 ドイツがナウルを保護領化。
1898 4月25日、アメリカがスペインに宣戦布告(米 西戦争勃発)。6月20日、アメリカはグアムを占領。12月10日、パリ講話条約締結。 スペインはグアムをアメリカに割譲。
1899 2月12日、ドイツがスペインからグアムを除く マリアナ諸島とカロリン諸島を購入。
1903 ドイツがヤップに最初の病院を設置。
1914 7月28日、第1次世界大戦勃発。8月23日、日本 がドイツに対して宣戦布告。10月14日、日本海軍は赤道以北のドイツ領南洋諸島を占 領。12月28日、トラック(現チューク)のドュブロンに臨時南洋群島防備対司令部を 置き、「南洋群島」に軍政を敷く。
1918 7月1日、防備隊司令官の下に民政部を設置。 「南洋庁始政記念日」。
1919 6月28日、ヴェルサイユ条約締結。旧ドイツ領 南洋諸島の日本領有が決定。
1920 12月17日、旧ドイツ領南洋諸島は国際連盟に よって日本の委任統治領となる。
1922 4月1日、日本はパラオのコロールに南洋庁を 設置、南洋群島を統治。パラオ、ヤップ、サイパン、トラック、ポーンペイ、ヤルー ト(現ジャルイット)の6地区に支庁を設置。
1933 3月27日、日本が国際連盟を脱退。南洋群島を 併合。
1941 12月8日、日本が対米英宣戦布告。
1945 8月15日、日本が無条件降伏。10月24日、国際 連合発足。「国連記念日」
1947 4月2日、南洋群島は国際連合によってアメリ カの太平洋諸島信託統治領(Trust Territory of the Pacific Islands, TTPC)とな る。当初は、アメリカ海軍が統治。パラオ、ヤップ、チューク(旧トラック)、ポー ンペイの4地区から構成。
1951 7月1日、太平洋諸島信託統治領の統治機関が アメリカ内務省に移管。同年、南太平洋委員会(South Pacific Commission, SPC、 1947年発足)に参加。
1952 12月、ヤップ地区にヤップ島行政官会議 (Yap Islands Council of Magistrate)が設立。
1956 パラオ・ヤップ・マリアナ諸島・チューク・ ポーンペイ・マーシャル諸島行政地区会議(Council of Administrative Districts of Palau, Yap, Marianas, Chuuk, Pohnpei, and the Marshalls、通称Council of Micronesia)が発足。この年、ヤップ島へのビール輸入が解禁。
1959 5月、ヤップ地区に選挙によるヤップ島議会 (Yap Islands Congress)が発足。
1962 太平洋諸島信託統治領の高等弁務官府がグア ムからサイパンへ移動。パラオ、ヤップ、マリアナ諸島、チューク、ポーンペイ、マ ーシャル諸島の6地区(District)となる。この年、ヤップ島の旧日本軍滑走路が復 旧し、グアムからの定期便開始。
1964 ヤップ島にヤップ高等学校(Yap High School)開校。
1965 1月、ミクロネシア議会(Congress of Micronesia)選挙。6地区からの代表からなる2院制。7月12日、第1回議会開会。この 年、ヤップ島にラジオ局WSZA開局
1966 ミクロネシアへの最初の平和部隊(Peace Corps)。
1968 将来の政治的地位と移行に関する委員会 (Commission on Future Political Status and Transition)が発足し、アメリカと の交渉を開始。この年、ヤップ島議会がヤップ地区議会(Yap District Legislature)に改組。初めての外島選出議員を含む。
1970 ミクロネシア公立短期大学(The Community College of Micronesia, CCM)設立
1975 2月15日、マリアナ諸島地区が、北マリアナ諸 島自治領(Commonwealth)となる盟約(Convenant)をアメリカと調印。7月12日 -11月8日、ミクロネシア憲法制定会議(Micronesian Constitutional Convention) が開催。ミクロネシア連邦憲法の草案を作成。
1976 3月24日、北マリアナ諸島自治領 (Commonwealth)設立に関する盟約が発効。
1977 1月1日、ミクロネシア議会が、ポーンペイ地 区からコスラエ(旧クサイ)を分離し、第7番目のコスラエ地区を設置。
1978 1月9日、北マリアナ諸島自治領が憲法を施行 し、自治政府発足。7月12日、北マリアナ諸島自治領を除く6地区で「ミクロネシア連 邦」結成の是非を問う住民投票。パラオとマーシャル諸島の2地区は「連邦」加盟を 否決。10月1日、ミクロネシア議会解消。
1979 5月1日、マーシャル諸島共和国が憲法を施行 し、自治政府発足。5月10日、ミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia)が憲法を施行し、自治政府発足。ヤップ、チューク、ポーンペイ、コス ラエの4州(State)政府から構成。「ミクロネシア連邦憲法記念日」。この年、ヤッ プで第1回「ヤップ・デー」を祝う。
1981 1月1日、パラオ共和国が憲法を施行し、自治 政府発足。
1982 5月30日、マーシャル諸島が、8月26日、パラ オ共和国が、10月1日、ミクロネシア連邦が、それぞれアメリカとの自由連合協定 (Compact of Free Association)に調印。12月24日、ヤップ州憲法の実施。「ヤッ プ州憲法記念日」。
1986 11月3日、アメリカはミクロネシア連邦、マー シャル諸島、北マリアナ諸島における信託統治の終了を宣言。ミクロネシア連邦とマ ーシャル諸島はアメリカの自由連合国(Freely Associated State)へ、北マリアナ 諸島はアメリカの自治領(Commonwealth)へそれぞれ移行し、正式に独立。「ミクロ ネシア連邦独立記念日」。
1990 ミクロネシア連邦の首都がポーンペイ島のコ ロニア(Kolonia)からパリキル(Palikir)に移転。この年7月、ヤップ本島、旧ア メリカ沿岸警備隊ロラン基地跡にミクロネシア海洋水産学校(Micronesian Maritime and Fisheries Academy)が開校。
1991 9月17日、ミクロネシア連邦が国際連合に加 盟。
1994 10月1日にパラオ共和国がアメリカの自由連合 国へ移行し、正式に独立。最後の信託統治領の消滅。12月国際連合に加盟。




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