- 2012年12月3日(月)第134回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「インドネシアのパプア州・西パプア州における森林資源:その問題と挑戦」
ヘルマン・ヒダヤット (国際島嶼教育研究センター)
[要旨]
インドネシアのパプア州・西パプア州に暮らす人々の生活は森林と密接な関係にある。木材資源だけではなく非木材林産資源(食料や薬、狩猟動物、燃材など)の場として、つまり彼らの生活を支える「母なる存在」として森林を捉えることができよう。この地域の森林資源は地元の人々により持続的に利用されてきた。
しかし、スハルト体制下(1967年〜1998年)森林は経済発展のための「産物」として扱われ、その結果森林劣化が始まった。中央政府は伐採権や植林利用事業許可を民間部門に与え、林産業(用材・家具・合板・パルプ・製紙産業など)の原材料となる材木の生産を促進した。スハルト体制後の改革期(Reformation
Era:1999年〜現在)にもこの政策は引き継がれた。改革期の特徴は「非中央集権化」にあり、地方自治体に地域の自然資源を自己管理させた。例えば、パプア州政府は共同事業体(koperasi)を設立し、伐採権や植林利用事業許可、アブラヤシ園の土地利用権を約1000ヘクタールにおいて発行した。しかし、持続的な森林管理に関する協定の作成、関連法の強化、利害関係者(特に中央・地方政府)による厳密な管理がなされなかったため、この事業により森林劣化・消失が引き起こされている。
2010年10月4日にWasiro(西パプア州)で発生した大規模な土壌浸食や、2007年3月にSentani(パプア州)で発生した大洪水は、森林劣化・消失が影響していると思われる。上流域の森林を再生することによって下流域(センタニ湖)における水資源や経済資源によい影響を与えると考えられる。森林再生をおこなう上で、地方自治体は先住民の人々の社会・経済基盤を強化する必要があるだろう。
- 2012年11月5日(月)第133回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「奄美諸島の系図はなぜ焼き棄てられたという理解が始まったのか−近世から近代の歴史と関連して−」
弓削政己 (奄美市文化財保護審議会)
[要旨]
系図が焼き棄てられたという理解は1800年代末の『奄美史談』からであった。しかし、それを直接証明する史料はない。
実際は、焼き棄てられたといわれる系図は豊富に残っている。そのためそれらの系図を中心に分析をすると、この問題の核心は、琉球王時代からの島の役人の身分を百姓にするということから起こっている事が理解できる。とともに、系図は98%前後の奄美諸島の人々とは無縁な問題でもある。
ここでは、系図焼き棄ては存在しないことと、藩による系図差出が藩全体の身分制再編成の問題であることを明らかにしたい。
しかし、この焼き棄て論が1世紀も続いていたことも、また「史実」である。その背景をどう理解するかを奄美諸島史から把握する必要がある。
それは、今後の奄美諸島史研究の方法論を検討する重要なテーマの一つでもある。
- 2012年10月15日(月)第132回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「南島先史時代社会変化の構造」
新里貴之 (鹿児島大学埋蔵文化財調査センター)
[要旨]
琉球列島の先史時代は、貝塚時代とよばれる。この時代はサンゴ礁環境下で安定した暮らしを営んでいたとされている。では、約8000年間も変化が訪れることはなかったのだろうか。
交流・交易活動からみると、貝塚時代の社会変化にはいくつかの画期が確認される。大きくは、ヤマトとの散発的な交流によって、主に土器文化変化の契機がうながされた貝塚時代前期と、琉球列島を供給地とした大規模な貝交易活動によって社会的個人の格差が生じた貝塚時代後期に区分される。しかしながら、貝塚時代後期の貝交易活動は、消費地の動向に大きく左右されるものであり、貝の生息地によって交易の主要供給地や集落の立地が変化することになった。各島嶼部では、消費地の動向によって社会の複雑化・簡素化が起こることになった。これは、狩猟採集社会である島嶼型交易社会の限界を示しており、ヤマトや中国と交易した、農耕社会であるグスク時代とは大きく異なるのである。
- 2012年9月20日(木)第131回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「爆発的水底噴火とその噴出物」
鹿野和彦 (鹿児島大学総合研究博物館)
[要旨]
水面下で発生する爆発的噴火は、火山ガスの泡や火山灰、軽石・スコリアなどが浮上し、あるいは噴煙が水面を破って空中に立ち上らないかぎり、これを察知して観測する機会はほとんどない。しかし、運良く水底から回収できた噴出物、あるいは、地層の中に保存されている噴出物の特徴から物理法則に矛盾しない噴火モデルを構築することは可能である。これまでに提案されている幾つかの爆発的水底噴火の様式と、これに対応するとされている噴出物の特徴について紹介する。また、身近に起こった事例として、鹿児島湾奥の若尊カルデラを形成した爆発的水底噴火についても議論する。
- 2012年7月28日(土)国際島嶼教育研究センター特別研究会
15時〜16時半 総合教育研究棟5階
「フィジーにおける沿岸資源共同管理の課題−FLMMAとMPAに主眼をおいて−」
鹿熊信一郎 (沖縄県)
[要旨]
2003年と2005年に,フィジーの6つ漁村と西部離島における沿岸資源共同管理の状況を調査した。フィジーではFLMMAと呼ばれるネットワーク型沿岸資源管理プロジェクトが進展中である。FLMMAの特徴は,明確に示された管理区域があること,そして地域コミュニティが管理に重要な決定権を持ち参加していることである。政府水産局,南太平洋大学,NGOがリード機関となり,それぞれのFLMMAサイトでプロジェクトを推進している。サイトの一つ,ビチレブ島東岸のウドゥニヴァヌア村では,MPAの設定によりサルボウ類カイコソの資源がMPAの外でも増加した。ここでは資源管理の効果をコミュニティがモニタリングしている。バヌアレブ島北岸のササ村では,1990年にチーフの決定により始められた刺網禁止措置により自給漁業の資源は守られたが,現在は漁船数が少なく,もう少し手釣り・スピアー漁の漁獲圧を上げても持続していけると考えられる。ビチレブ島南東岸のキウバ村では,ナマコ漁業が盛んであり,今後,ナマコ資源の管理が課題となると思われる。バヌアレブ島の漁獲物と沖縄の漁獲物とでは魚種構成が似ており,魚価のグレードも似た傾向をもっていた。資源管理の代替収入源として,淡水魚養殖と中層浮魚礁が有望であると考えられる。現在,フィジーでは沿岸漁場・資源の所有権を政府からコミュニティに戻す動きがあり,今後のFLMMAの方向に大きく影響してくると考えられる。
サンゴ礁生態系はサンゴ礁漁業を支える基盤である。しかし,今後,サンゴ礁生態系・生物多様性の保全とサンゴ礁漁業の振興との間に対立が生じる恐れがある。ここでは,フィジー・沖縄の事例を基に,仮に二つの考え方を「西欧型」・「アジア・太平洋型」と呼び,両者が対立するケースをMPA,サンゴ礁保全,エコツーリズムの課題をとおして考察する。MPAの面積を決める際には,できるだけ大きくしようとする西欧型の考え方と,操業区域を確保しようとするアジア・太平洋型の考え方のバランスをとるため,科学的調査によりスピルオーバー効果を定量的に把握すると同時に,参加型・順応的管理方式によりMPAの面積を決定・改善していくべきだと考えられる。サンゴ礁生態系再生の方向は,基本的には西欧型の考え方に基づく「保全」が第一であり,人為的な攪乱要因をできるだけ取り除かなければならない。しかし,サンゴ礁資源を漁業で利用しながら,人為的なサンゴ礁修復策もとり,サンゴ礁と人類が共存していけるサンゴ礁保全策も探していかなければならない。フィジーにおいては,環境収容力内,かつ,漁撈文化・魚食文化への悪影響を最小限にとどめたアジア・太平洋独自の発想に基づくエコツーリズムの進展が期待される。
キーワード:フィジー, FLMMA, MPA,水産資源管理,サンゴ礁保全,エコツーリズム
- 2012年7月9日(月)第130回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「チャンネル諸島ジャージー島における言語復興」
ヘンリー・ジョンソン (鹿児島大学国際島嶼教育研究センター)
[要旨]
ジャージー島はその歴史的・文化的背景においてフランス本土と密接に結びついており、たとえこの島が政治的にはブリテンの領土であろうと、その関係はなお緊密なものがあります。実際、何世紀にもわたって、島のリンガ・フランカ(共通語)は、島のまわりで何種類も話されているノルマン語のひとつである「ジェリエィ語」Jerriaisでした(ジャージー・ノルマン・フレンチ、ジャージー・フレンチあるいは俚言と呼ばれることもあります)。ジャージー島の法律言語にはジャージー・フレンチも含まれますし、フランス語はある種の政治的文脈においていまなお使用されています。島の住民の多くは英語とフランス語の他にジェリエィ語を話してきましたが、こうした3言語使用が一般的だったのは、それが島の内部、島々の間(つまり他のチャンネル諸島の島々)、島の外(フランスやブリテン本国)とのコミュニケーションにおいて必要だったからです。しかし20世紀に入ってから、ジェリエィ語は急速に衰退してきています。現在、ジェリエィ語を話す人はわずか数パーセントしかおりません。2001年の調査によれば、約2,874人(総人口の3,2%)で、そのうち母語がジェリエィ語である人は113人にすぎません。しかしながら、島の文化を歴史的な側面から見ると、この言語は今日なお島のアイデンティティや伝統との関係で高い重要性を持っているのです。たとえば、過去20年間を見ても、ジェリエィ語が島の文化に占める重要性は非常に大きなものがあり、その言語的復興は言語学者たちの関心の的であるばかりか、しばしば教育や政治に関する言説の目玉となっております。ジェリエィ語のネイティヴスピーカー数が減り続ける一方で、島の文化的伝統やアイデンティティという側面から見れば、その認知は高まりつつあるのです。またそれにともなって、この言語の振興や保存に対する人々の懸念や関心も高まってきています。本発表では、このジェリエィ語を言語復興との関連で、内側と外側の両面から論じてみたいと思います。
- 2012年6月25日(月)第129回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「島は孤ならず必ず隣あり?奄美沖縄環境史研究の夢」
安渓遊地 (山口県立大学国際文化学部)
[要旨]
島は、さまざまなものに分断され続けてきた。それらをつなぐ失われた輪を見つけたい。それが、1974年に始まった西表島通いにつづく、私の島巡りの旅の課題となった。とくに2005年から5年間は、地球研(総合地球環境学研究所)の湯本貴和教授のもとで集中してとりくんだ日本列島の環境史研究プロジェクトで、私たちは、奄美沖縄の島々を精力的に廻った。その結果は、6冊の論文集のうちの1冊『島と海と森の環境史』(文一総合出版)、7冊の『聞き書き・島の生活誌』(ボーダーインク)、1冊の『奄美・沖縄環境史資料集成』(南方新社)という、合計で2000頁近い成果物となった。これらの本は、30年以上を種子島から与那国島までの島々の研究についやしてきたメンバーを中心にして、地域を知り・地域を愛し・地域を守るという研究者と地域住民の協働の産物だとも言える。
今回は、これらの研究成果の中から、大正時代まで島々を結んでいた交流と物々交換のネットワークについての、フィールドワークの結果をお伝えしたい。実際にそれらを経験した人たちの語りは、いまとなっては再び聞くことができないものが多い。それらが教えてくれる内容は、ちょうどマリノフスキーがトロブリアンド諸島で、文化も言語も違う多数の島々が貝でつくった装身具を贈りあうという平和のネットワークの「クラ」によってつながれていることを見いだしたのと同じころ、奄美・沖縄の島々にも、そうした人間関係に裏打ちされた、物々交換があったことを示すものである。
- 2012年5月15日(火)第128回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「福岡モスク―在日ムスリムコミュニティの新展開に関する一事例」
リワント・ティルトスダルモ (インドネシア科学院社会文化研究センター)
[要旨]
発表者は現在、在日の移民コミュニティ、とりわけインドネシア人ムスリムにみられる宗教生活の研究に着手し、調査を進めているところである。2003年から4年には、茨城県大洗において主に(スラウェシ島北部の)ミナハサン語系のキリスト教徒からなるインドネシア人移民コミュニティ(メンバーの大多数が不法長期滞在者である)について研究を行った。2004年から5年には、新安城モスク(愛知県安城市)近辺のインドネシア人移民コミュニティ(大多数が研修生)を観察調査した。昨年、福岡市の箱崎に新たに建立されたモスク近辺のムスリムコミュニティの調査を開始したところである。福岡モスクのムスリムは、エジプト人、バングラデシュ人、インドネシア人が大勢を占めるものの、その他さまざまな国籍から構成されている。そのうち、インドネシア人の大多数は福岡市とその近郊在住の学生と研修生である。発表者の関心の一つは、異質な宗教的、文化的環境のなかでモスクを建設しようとした彼らの取り組みと機動性にある。ムスリムコミュニティの観察調査と調査協力者との対話を通じて、外国人、とりわけイスラムに対する興味深い寛容性と順応性を見せる日本人とムスリム相互のやりとりに関する理解を試みた。現在、欧米において強まるイスラム嫌悪感を目の当たりにするなかで、こうした反応は驚きに値する。この20年ほどの日本におけるムスリム数の増加とモスクの建設ラッシュはひとつの興味深い現象であり、発表者自身が福岡で観察したこともその流れに位置づけられるべきものである。日本では現在、より多様で多元的な社会が、ゆっくりと、しかし確実に進展しつつあるといえるだろう。
- 2012年5月7日(月)第127回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「「甑島のトシドン」とユネスコ」
マイケル・フォスター (インディアナ大学)
[要旨]
2009年に日本の伝統13件がユネスコの「人類の無形文化遺産の代表一覧」に記載された。そのうちの一つが鹿児島県下甑島で大晦日に行われる「甑島のトシドン」である。「トシドン」とは子どもの教育や躾のために代々伝えられる大事な年中行事である。
本発表では、 トシドンのあり方や本来の意味合いを紹介した上、ユネスコに認められたことにより、これからトシドンがどのように変化して行くのか考える。観光客が増えるという予測もあり、伝統を観光の目玉として島の活性化を図る、好ましい方法とはどのような形をとるのだろうか。
下甑島の地元の人々の声を取り上げ、考察してみたい。
- 2012年4月16日(月)第126回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「船と海の思い出」
市川敏弘 (鹿児島大学理工学研究科(理学系))
[要旨]
海の研究を専門にしたために練習船や調査船で、北太平洋、ベーリング海、南太平洋、インド洋などへ出かける機会があった。合計すると約1500日間を船で暮らしたことになるが、乗船回数が最も多い船は鹿児島大学の敬天丸であった。特に長期航海の海上での作業や寄港地での体験は、あの惨憺たる船酔いの経験も含めて、忘れ難いものがある。今までつき合った船や海の姿は、私にとっては限りなく懐かしい思い出として残っている。広くて深い海は、陸上とは違って行こうと思えば行けるという場所ではない。そのため研究の能率は悪いが、そこにまた海の魅力がある。船と海の体験について、研究成果も少し含めて報告したい。
- 2012年3月12日(月)第125回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「サテライト教室と私の奄美研究」
山田 誠 (鹿児島大学法文学部)
[要旨]
近年、鹿児島大学は奄美をフィールドとする教育及び研究に大きな力を投入している。初期の段階で、この取り組みにかかわった一人として当時を振り返れば、偶然に大学を取り巻く環境の劇的な変化に立ち会うことになったというのが率直な実感である。
一時期、奄美をテーマにして科学研究補助金による研究、大学の全学プロジェクトが重なり、それに並行して奄美にサテライト教室が開設された。だが、一連の研究と大学院のサテライト教育は別々の事情で誕生し、それぞれ自立した展開をたどってきた。その事実経緯にもかかわらず、私が仕掛け人の一人として加わった当時の一連の活動は、奄美群島における鹿児島大学のプレゼンスを高めるのに、結果として少なくない貢献をしたと自負している。というのは、それまで奄美における鹿児島大学の位置は、過去の経緯や他大学がいち早く継続的な関係を築いていたこともあり、あまり良好ではなかったからである。
私個人の奄美研究に関していえば、全学プロジェクトの前には物議をかもした1本の調査研究があるだけであった。この間、奄美群島にずいぶんと出かけたが、ほとんどの場合、サテライト教室の授業や打ち合わせ・会議などであって、調査に回った機会は数えるほどしかない。結局、奄美についてもっとも深く学ぶ機会となったのは、受講生が調べてきて報告する授業だといえる。この点で、受講生の人たちにはとても感謝している。
- 2012年2月29日(水)第124回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「実践・教育法・理論―太平洋諸島民研究についての一論評―」
Keith L. Camacho (カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
[要旨]
本発表では、米国本土、とりわけカリフォルニアにおける太平洋諸島民研究の形成について探究する。太平洋諸島民研究は、現在ホットな研究領域として、人類学や地域研究といった冷戦の刻印を受けた先行研究とともに、ある部分では太平洋研究や太平洋諸島研究の流れを汲んでいる。こうした関連分野においては、太平洋諸島民らはしばしば、個別の土着共同体として理解され、彼らの場所や権力をめぐる観念は、太平洋のそれぞれの環礁や群島のうちに存するものとされてきた。しかし、ディアスポラ研究や移民研究の成果にもかかわらず、こうした地域を離れた、特にアメリカ本土在住の太平洋諸島民の共同体に関する研究はほとんど手つかずの状態である。そこで本発表では、こうした新領域の研究発表や議論がもっとも活発に展開されている地域の一つであるカリフォルニアにおいて、太平洋諸島民研究が学術的、歴史的、政治的に形成される様相を検討したい。こうした議論の中心には、民族研究や先住民研究への方法論的転回と、そこでの分析的カテゴリーや制度上の組織力や政治的実践が、太平洋諸島民による脱植民地化と社会的公平性への要求を進展させた(あるいはさせなかった)方法への方法論的転回とが存在しているのである。
- 2012年2月20日(月)第123回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「海に魅せられて」
大木公彦 (鹿児島大学総合研究博物館)
[要旨]
1970年代前半、鹿児島湾周辺地域の第四系の構造発達史を解明するために地質調査を行ったが、同時に水産学部のかごしま丸や敬天丸で海底表層堆積物の採取も行っていた。最終的に、鹿児島湾から採取した海底表層堆積物の粒度組成や底生有孔虫群集解析によって鹿児島湾の堆積環境について博士論文としてまとめ、1989年に南太平洋海域研究センター(現在の国際島嶼教育研究センター)の「South
Pacific Study」に投稿した。一方、1981?93年に早坂先生を代表とする科研費海外学術調査で南太平洋に生息する生きた化石「オウムガイ」の調査に携わった。調査結果は5冊の「Occasional
Papers」で報告された。これら2つの調査の研究結果の概要を、思い出も含めてお話ししたい。
- 2012年2月9日(木)第122回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「動物化石の同位体分析により考察する東シナ海周辺の初期家畜文化の発展」
南川雅男 (北海道大学大学院地球環境科学研究院)
[要旨]
原発事故で放出された放射性核種は、図らずも自然界と人間生活の結びつきを確認させるきっかけとなったが、人間と自然界の物質の関係の深さは、容易に見えにくいものである。一方、近年、自然生態系における物質共有の程度や影響範囲は、炭素や窒素の安定同位体によって研究されるようになってきた。もともと自然界に不均一に存在している炭素と窒素の安定同位体は、生々流転を経てもなお履歴にしたがった特徴を示すことから、元素の由来をたどるトレーサーにすることができることが、動植物や人類生態の研究で示されてきた。
この講演では、東シナ海を交易圏とする先史時代に、東シナ海周辺の人類集団が、どのように交流していたかを明らかにした研究を紹介する。一般に、野性の草食動物は、気候風土に適応した植物を基点とする食物連鎖によって規定されるため、同位体組成が地域的に特徴づけられているが、家畜化された動物個体は人為的に食物連鎖が変えられてしまい、その違いは動物骨のタンパク質の炭素・窒素の同位体組成で見分けることができる。東シナ海を囲む島嶼と大陸、半島間の家畜の同位体分布は変化に富んでおり、家畜飼育の伝搬や普及過程の地域差を考えるうえで示唆にとんだ情報を与えてくれる。これらの実例を紹介しながら、同位体研究法の長短についても触れたい。
- 2012年1月16日(月)第121回 国際島嶼教育研究センター研究会
16時30分 総合教育研究棟5階
「植物の生活型からみた海岸植生の生態〜チューク諸島と南西諸島」
川西基博 (鹿児島大学教育学部)
[要旨]
海岸植生とは、海と陸の境界域に成立する独特な植生であり、島嶼の景観を特徴づける重要な構成要素である。一般に、海岸は土壌の発達が悪く栄養に乏しい、塩分濃度が高い、風害を受けやすい、飛砂や崖の崩壊など立地が不安定であるなど、植物の生育にとっては厳しい環境であるといってよく、内陸部に比べて単純な植物群落が成立することが多い。海岸植生の種組成・構造は地形や地理的条件に応じて変化し、地域的な違いがみてとれるが、その違いの一部は各種の生活型と環境との関係から理解することができる。本発表では、チューク諸島における海岸植生の種組成と生活型組成を紹介し、南西諸島の海岸植生との比較を通して、両地域の海岸植生の共通性と多様性について検討したい。
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