国際島嶼教育研究センター
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研究会などの記録 
2010年(多島研・島嶼研)

  • 2010年12月6日(月)第110回 国際島嶼教育研究センター研究会
    16時30分 総合教育研究棟5階

    「海上帝国ヴェネツィアのクレタ島支配
      -島嶼支配の比較史への試み-」
     藤内哲也(鹿児島大学法文学部)


    [要旨]
      地中海商業によって繁栄した北イタリアの都市国家ヴェネツィアは、中世以来アドリア海や東地中海の拠点となる港湾都市や島嶼部を支配下におさめ、海上帝国を築き上げていた。その多くは商業ルートに沿った中継地として利用されたが、ヴェネツィアの海外領土のなかでも最大の島嶼のひとつであるクレタ島では、ヴェネツィア本国から多数の入植者が移住し、広大な土地を所有して小麦やワインの生産を行った。ときに現地住民による大規模な抵抗に直面したものの、ヴェネツィアのクレタ統治は、近代以降のヨーロッパ諸国による植民地支配の先駆として意義づけられている。そこで本報告では、ヴェネツィアによるクレタ島支配のしくみや、カトリックの入植者とギリシア正教の現地住民、あるいは本国政府との関係などについて概観したうえで、その特徴を明らかにするとともに、近世薩摩藩による奄美支配の事例と比較することで、島嶼支配の比較史のための視座を得たい。



  • 2010年11月8日(月)第109回 国際島嶼教育研究センター研究会
    16時30分 総合教育研究棟5階

    「かごしま丸ナポリ訪問50年前の映像記録
    -鹿児島・ナポリ姉妹都市盟約50周年を祝して-」
     田口一夫(鹿児島大学名誉教授)


    [要旨]
      昭和35年練習船「かごしま丸(第2代)」完工。その頃、鹿児島市はナポリ市と姉妹都市の盟約を結んだ。市はかごしま丸の処女航海の途次にナポリ市への寄港を大学に要請。同11月、かごしま丸は実習学生に加え市の親善使節団の一部団員も乗せて出港。スエズ運河を通りナポリまで直行。12月ナポリ港埠頭に横付け。姉妹都市盟約を祝う行事には学生たちも参加し、街はKAGOSIMA一色に染まった。彼らはナポリ商船大学他を訪問した。
      当時の処女航海とは機器類を含め船体のテストを兼ねていたから、担当者はかなりストレスを受けるものであった。初代の老朽船から最新装備の船に移った乗組員にも戸惑があった。ましては練習船の性格上最新の機器を多数装備しただけにその心配が大きかった。スエズ運河の情報が皆無に等しかった。田口氏を除いて全員初の外国航路であった上、盟約式の日程は決まっていたので、航程の厳守が念頭にあった。
      インド洋漁業実習では、セイロン島南方洋上でマグロ延縄漁業、そして鹿児島大学初のトロール漁業を行った。海洋観測・缶詰製造と学生は忙しいが、途中でコロンボに入港。漁場切り上げ後はシンガポール入港。2月16日、102日間の航海を終了して鹿児島港に投錨。この全てを16mmシネ・カメラで田口氏が撮影した。映像は、航海中の学生実習に焦点を当て、また各寄港地の風物も取り上げ、ナポリ市での盟約式行事も全て収録した。



  • 2010年9月21日(火)第108回 国際島嶼教育研究センター研究会
    16時30分 総合教育研究棟5階

    「Written in Stone: What the stone artefacts of an ancient archaeological site can tell us」
     マリオン・キャンベル(太平洋諸島考古学者)


    [要旨]
      Lapita is the term used for the earliest culture identified in the western Pacific Islands. Moreover, archaeological studies in the western Pacific, including Fiji have focussed on pottery analysis as the primary cultural marker. Analysis of stone artefacts has concentrated on adzes and on locating the source of their rock types. Similarly, sourcing of chert and obsidian artefacts as a means of tracing trade and population movements has received much attention. This approach has been adopted, in part, because most Lapita-period sites have been deficient in stone artefacts.  A current trend is to move away from studies of individual artefacts and their form to concentrate on methods of production and resource strategies.
      The early Lapita site at Bourewa, on the south-west coast of Viti Levu, Fiji, has provided a collection of almost 1700 stone artefacts which exhibit a wide range of types and attest to multiple activities occurring at the site.  Detailed analysis of this collection has been under-taken combining the older approaches of classification and an assessment of production methods and resource utilisation.  Over three-quarters of the flaked material has been either re-touched or has fine wear patterns that indicate the way it was used.  Many pieces show multiple use and functions.
      Analysis of the distribution of these artefacts from the site has identified focus areas for particular activities and changes through time. This is the first time that such an attempt has been made for a Lapita site and is especially important because at present Bourewa is accepted as the earliest occupation site yet discovered in Fiji.



  • 2010年7月12日(月)第107回 国際島嶼教育研究センター研究会
    16時30分 総合教育研究棟5階

    「Tongan Political Reform: the Odd-One-Out among the Pacific Islands」
     イアン・キャンベル(鹿大・国際島嶼研究センター・客員教授)


    [要旨]
     The constitutions of the Pacific Island states are mostly the product of decolonisation in the third quarter of the 20th century and capture the values that were current at the time. Several of them have undergone minor modifications since though usually without discarding the received constitution and redesigning the political charter from first principles.

     Tonga is the exceptional case, having a constitution that is about 100 years older than those of the other states. It was formulated in 1875 by a non-Tongan, and showed almost no engagement with Tongan culture as it was at the time. On the contrary, the idea was to show that Tonga had moved away from its culture in its new political construction.

     However, after having had over 125 years to assimilate culture and constitution by the end of the 20th century political pressures were making it necessary for some changes to be made. The 1875 constitution preserved a strongly hereditary element in government which gave stability, but which also encouraged the idea that king and nobles had a natural right to rule. Therefore, for about 20 years the regime was able to ignore or resist suggestions that democratic reforms would be desirable or necessary.

     The resistance to change ended abruptly as the aging king passed into a terminal decline, and power effectively shifted to the next generation. At that point, members of the royal family seized control of the reform process. Legislation was passed in 2010 broadening popular participation in government, and restricting the powers of the king. The changes will come into effect with an election in November 2010.

     The effect of this reform is to create a constitution which is perhaps more intimately connected with Tongan culture than are the other constitutions of the Pacific, but also one which is much less democratic than might have been the case had reform been further delayed.


    「アジアの唐辛子−キダチトウガラシを中心に−」
     山本 宗立(鹿大・国際島嶼教育研究センター・准教授)


     トウガラシ属(genus Capsicum)は新大陸起源の植物で、紀元前7000年頃あるいはそれ以前から利用されてきた。1492年にコロンブスが新大陸を発見して以降、100年も経たないうちに唐辛子は世界中に広まった。現在ではトウガラシ(C. annuum)とキダチトウガラシ(C. frutescens)が世界中で利用されており、旧大陸においても「唐辛子のない食事なんてありえない」という食文化を築いた地域も多い。また、食用以外にも多岐にわたってトウガラシ属は利用されているが、そのような報告例は少ない。そこで、アジアにおけるトウガラシ属の利用を紹介するとともに、キダチトウガラシが新大陸から直接太平洋を経由してアジアへ伝播した可能性について発表をおこなう。


  • 2010年6月14日(月)第106回 国際島嶼教育研究センター研究会
    16時30分 総合教育研究棟5階
    「島あるいは火の山へ」
     吉増 剛造(詩人・城西国際大学客員教授)
    [要旨]
     「島嶼研」にお招きいただきまして、ぜひみなさまに、御報告、─といいましょうか、手紙をだすように、……そうでした、栂尾の明恵上人の「島の手紙」が枕になりますね、……「島への手紙を綴る試み」を、この日の一期一会として、幾本かの自作Cine上映を通じて、してみるつもりです。
     「島から半島へ、あるいは半島から島へ」というタイトル、ヴィジョンでもあるのかもしれません。
     奄美大島、加計呂麻島、徳之島、済州島(チェジュドー)から木浦(モッポ)へ、アイルランドの湖沼の島へ、そして、ポール・ゴーギャン、ブルターニュへと「島ノ歌」は、“波ノ音”のようにひろがります。
     そして“鹿児島”が、(個人的にも、いわば、「共同幻想」に於ても)夢の起点でありつづけていることの謎も。そうか、火の山だ!

  • 2010年5月17日(月)第105回 国際島嶼教育研究センター研究会
    16時30分 総合教育研究棟5階
    「日本の近代化と鹿児島」
     皆村武一(前法文学部)
    [要旨]わが国は、明治以降、政府の積極的な近代化政策によって、都市部を中心に近代的企業の発展、財貨・サービス市場、労働市場、金融市場の発展がみられるようになった。その近代化の波は次第に地方の農山漁村部にも押し寄せ、1890年代末には全国的な規模において近代化が進んだ。しかしながら士族人口が全国一の割合を占め、かつ農村・農民が圧倒的割合を占める鹿児島県においては近代化への歩みはのろく、全国平均から大きく後れをとってしまった。その主たる要因は、藩政期以来の制度・慣習や社会的諸関係が根強く残存し、農民の意識改革、生産技術の改良や生産性の向上が遅々として進まなかったためである。工業や商業の面においても、資金の不足に加え財貨・サービス市場、労働市場、金融市場等は遠隔地の都市部に依存しなければならず、近代的な企業といえるものは存在しなかった。政治や行政の面においては、官治的・保守的風潮が強かった。社会や文化の面においても、近代化は他府県の後塵を拝し、教育の面においても後進県であった。
     第2次世界大戦後の農地改革、労働改革、教育改革などの民主化によって、本県も80年遅れた明治維新を迎えた、と称されるような状況を迎えたのである。このように、近代化が遅れたということは逆からみれば、自給自足的な農山漁村や家族労働力に依存した中小零細の企業や商業の占める割合が多く、商品貨幣経済の発展の度合いが低いということでもある。しかしながら、鹿児島においても近代化及びグローバル化は否応なしに進展している。近代化・市場経済化及びグローバル化の光の部分と影の部分について考えてみたい。
    「プレート境界の地下資源」
     根建心具(前理学部)
    [要旨] 岩石には、周期律表のすべての元素が含まれるが、地球の変動によって、特定の元素が、通常の岩石の含有量より、数倍から数万倍濃集することがあり、人類はこれを地下資源として有効利用してきた。地下資源の多くはマグマの活動によって形成されるが、すべてのマグマに地下資源が伴うわけではない。南方海域研究センター以来、幾度も総合調査隊に加わり、パプアニューギニアやパラウ、ヤップなど、太平洋西部地域の海洋プレートと大陸プレート境界に発達する島弧(弧状列島)を調査した結果、地下資源を伴うマグマの特性が次第に明らかになってきた。
    南海研と多島研の総合調査隊では、生物学関係者と行動を共にすることが多く、自然現象を総合的に理解する好機に恵まれた。この経験は原始地球のプレート境界の地下資源、さらには太古代生物圏掘削計画の契機となり、原始地球の環境と生命の共進化の研究の足がかりとなった。
  • 2010年4月26日(月)第104回 国際島嶼教育研究センター研究会
    16時30分 総合教育研究棟5階
    「フィジー人の自然認識とグローバル化への適応―中部諸島の事例から― 」
    河合利光 (園田学園女子大学)
    [要旨]フィジーは、かつて人と自然環境の共生する生命循環型社会であったと考えられるが、今では、西欧化・植民地化・観光地化・産業化の中で大きく変化し、南太平洋の中でも近代化の進んだ国として知られる。確かに、フィジーは、グローバル化の過程で大きく変化した国である。しかし、先住フィジー人自身は、フィジー流と西洋流を明確に区別している。ポストコロニアル論的立場に立つ研究者は、それを、伝統と現代の文化的断絶、及び他民族への抵抗や自民族のアイデンティの確認といった政治的視点から解釈する傾向があった。本論では、フィジーが、どのように、その変化に適応してきたかを考察するが、伝統と現代の断絶よりは両者の連続性を重視し、特に、先住フィジー人の社会・文化・自然環境をトータルに貫く「自然観」に注目する。本報告でいう「自然観」とは、両側ないし4つの側が支え合う、神により創られた「かたち」という、社会的に共有された文化的認識のことである。彼らは、人体、行動、社会、文化、自然環境を全て、差異化と支え合いによって生命力を循環させる伝統的で自然な「かたち」と考え、外来の不自然な形から区別している。それは単なる世界観という以上に、身体化され広く共有されている民俗理論であり、広く東南アジア・オセアニア地域にも共通する「文化」であると考えられる。さらに、その「自然認識」は、グローバル化に適応するために、フィジー人社会の基底にあった思考であると想定できる。
  • 2010年3月15日(月)第103回 多島圏研究センター研究会
    16時30分 総合教育研究棟5階
    「研究計画における間違いの例 」
    日高哲志 (鹿児島大学多島圏研究センター)
    [要旨]研究計画で最初の段階を間違ってしまうと、後々まで大きな影響を与えます。また、話題は異なりますが、パパイヤの育種についてもお話しします。「奄美諸島におけるハブと糞線虫」
    水上惟文(鹿児島大学医学部保健学科地域看護・看護情報学講座)
    [要旨]渡瀬線は、吐喝喇(トカラ)海峡を境に日本の動物相を、この線より北の旧北区と南の東洋区に分かつ。陸棲毒蛇の分布も、屋久島、種子島にはマムシが棲息し、トカラ列島以南にはハブが棲息するなど、この線を境にしている。? ハブ類の学名: 従来、クサリヘビ科マムシ亜科ハブ属に分類されていたハブ類は、近年の改訂により、ハブ属は属名が変更され、ハブProtobothrops flavoviridis、トカラハブ Protobothrops tokarensisとなった。ヒメハブはヤマハブ属となりOvophis okinavensisに変更された。? ハブ類の分布:トカラ列島にはトカラハブが棲息し、奄美大島、徳之島にはハブとヒメハブの二種が棲息するが、加計呂痲島、与路島、請島、枝手久島にはハブしか棲息せず、喜界島、沖永良部島、与論島にはハブもヒメハブも棲息しないなどの特異的な分布の理由については諸説あるが、海進・海退が原因ではないかと一般には考えられている。?食性: ハブでは、クマネズミとドブネズミが全食物個体の82.5%を占めるのに対し、ヒメハブは両棲類と爬虫類が81%を占める。また、ハブの発達段階に応じて餌の種類も変わることが分っている。?繁殖 ハブの孵化時の性比は雄:雌=5:4で、孵化時の体長は350−410mmであった。交尾は5月、産卵は7月下旬から8月下旬で、ハブは産卵後45日で孵化した。?成長・年齢・寿命 ある年の特定時期に捕獲されたハブの全長を測定して度数分布図を作成すると、いくつものピークが見られた。ハブの交尾、産卵が年1回と仮定すると、各ピークは年齢群を表していると考えた。ハブ脊椎骨の椎体リングが年輪であることを確認し、ハブの絶対年齢を推定し、ワルフォード図法を用いハブの寿命を推定したところ、雄ハブが10年、雌ハブが7年であった。?その他、脱皮、毒、毒作用について報告する。また、糞線虫はヒトに寄生する線虫で、自家感染経路を持つ特異的生活環を持ち、人畜共通感染症と考えられていたが、我々はヒト・イヌ間には交差感染が無いことを確認した。
  • 2010年2月23日(火)平成21年度島嶼プロジェクト研究「豊かな島嶼の発展のために」 報告会
    日時: 平成22年2月23日(火)13:00〜15:00
    会場: 鹿児島大学総合教育研究棟5階
      入場無料(どなたでも参加できます)
    鹿児島大学多島圏研究センターでは平成21年度において鹿児島県島嶼域を対象に学際的研究を行いました。参加者がその成果を報告します。
    13:00 開会挨拶 桑原季雄(多島圏研究センター プロジェクト部会長)
    13:05-13:45
     島嶼多様性領域
     (島嶼における自然・社会構造の多様性の現状を研究し、その維持機構の解明を目指す)
     ・ 八田明夫: 島嶼における有孔虫の研究
     ・ 梁川英俊: 奄美諸島におけるシマウタの伝承形態
     ・ 河合 渓: 奄美大島に見られる干潟の貝類の多様性
    13:45-14:25
     島嶼社会領域
     (島嶼域が抱える諸問題の現状を把握し、その対処方法の構築を目指す)
     ・ 桑原季雄: 与論島における地域活性化の取り組み
     ・ 長嶋俊介: 鹿児島島嶼の列島性−Chiki Kosei noの現地確認(社会=生活環境・島嶼経営領域: 甑島・徳之島・沖永良部島)−
     ・ 寺田竜太: 奄美群島における海藻の利用:現状と課題
    14:25-14:55
     島嶼適応領域
     (島嶼における自然環境を考慮した自律的発展を追及する)
     ・ 冨永茂人: 島嶼農業の展開構造
     ・ 野田伸一: 十島村の口之島と中之島におけるブユ対策
    14:55 閉会挨拶 冨永茂人(多島圏研究センター長)
    報告者以外のプロジェクト参加者
     島嶼社会領域
     ・ 鳥居享司: 奄美地域における漁業経営の実態分析
     ・ 萩野 誠: 交流圏からみた島嶼をめぐる情報フローについて
     島嶼適応領域
     ・ 西村 知: 奄美マングローブ域コミュニティにおける水産資源管理
     ・ 小針 統: 奄美リュウキュウアユの保全にかかわる分析手法の確立
     ・ 日高哲志: パパイヤ果実の加工適性に関する研究
  • 2010年2月13日(土)多島域フォーラム・公開講座」
    「薩琉400年: 東アジア島嶼圏の形成 -総括と展望-」
    日時: 平成22年2月13日(土)13:30〜17:00
    会場: 鹿児島大学共通教育棟1階211教室
      入場無料(どなたでも参加できます)
    鹿児島(薩摩藩)と沖縄(琉球王国)が「侵略・侵攻」等とされる、軍事的・強制的措置にしても、深い関係が構築されてから、400年がたった。やがて琉球弧はヤマト世(ゆ)を迎え、東アジア圏の中の島嶼として、画期を迎えていくことになる。それはその後の薩摩・奄美・沖縄の歴史のみならず、明治維新にも影響を及ぼすし、戦後の米軍統治・本土復帰・国土軸や道州制議論においても、この琉球弧をどう認識するかということが、繰り返し具体的課題として登場してくる。
    これらの問題の起点について、この1年間各地で多様な催しがあり、議論が尽くされた。その史実蓄積・再認識・新展望についても目を見張るべき成果が具体的に蓄積された。大学・学会の役割として、その総括作業も意義深い取り組みである。今回のフォーラムは、この直接的当事者である、琉球と奄美の立場・視座からの総括と展望を聞き、また鹿児島・薩摩の歴史と重ねながら、未来志向的な展望についても、会場参加者も交えて議論することを目指すものである。
  • 2010年1月25日(月)第102回 多島圏研究センター研究会

    「Fisheries Management in the Pacific Islands: Can fisheries resources remain the ‘lifeline’ for the Pacific Islanders?」
    (太平洋諸島での漁業管理:漁業資源は太平洋島民の“生命線”でありえるか?)

    Vina Ram Bidesi (University of South Pacific, 鹿児島大学多島圏研究センター)
    16時30分 総合教育研究棟5階
     The 22 developing states and territories of the Pacific Islands region consist of only about 551,390 km2 of land spread across 30 million km2 of ocean that extends from north to south of the equator. The islands are linked and controlled by the marine environment.
     The dependence of the Pacific Island countries upon the ocean resources has been a vital part of their cultural, social and economic development. The coastal and marine ecosystems of the region are extremely important habitats for sustaining the livelihoods. With limited arable land and poor soils in the low-lying islands, reliance on marine resources is extremely important. As the population increases, this dependence becomes even more critical. The ocean is seen as the ‘lifeline’ that “provides the greatest opportunities for economic development” (SPREP 2002). Economic activities such as fisheries, tourism and trade are highly dependent on the marine environment.
     The seminar will focus on the critical dependence of Pacific Islanders on the fisheries resources, to show that while there has been much progress towards the management of fisheries, the question still remains whether the sector can continue to be the ‘lifeline’. Using examples and research experiences influenced by social, economic and environmental policy perspective, policy gaps and future research interests are indentified. The nature and structure of the fisheries sector will be described and policy initiatives will be outlined to show that two parallel systems exist. While there are attempts to achieve a more integrated approach, fisheries management and development goals will still not be achieved unless the design of an effective fisheries management regime is considered for both coastal and offshore fisheries.




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