国際島嶼教育研究センター
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研究会などの記録 
2008年(多島研)

  • 2008年12月13日(土)多島域フォーラム・公開講座」

    「無垢の自然が残るトカラ列島」
    日時: 平成20年12月13日(土)14:00〜16:30
    会場: 鹿児島大学共通教育棟1階111教室   入場無料(どなたでも参加できます)

    1 自治体としての十島村の特異性について
      十島村副村長  福満征一郎
      十島村(トカラ列島)はその地理的条件や1946年のGHQの「2・2分離宣言」による本土との分離など他の自治体にない特異な条件下にあり、これまでの十島村住民の生活はまさに現代日本の政治行政に置き去りにされた感がある。
    今、皆既日食で注目されている十島村の皆既日食対策(基本原則:住民生活を守る・トカラの自然を守る・観測者の安全を確保する・受益者負担とする)や住民の生活環境・行財政の現状等について紹介する。
    2 トカラの自然・民俗及び2009年皆既日食について
      十島村歴史民俗資料館館長 福澄孝博
      さまざまな境界上の地域であるトカラ。生物分布では亜熱帯と温帯のものの 混在点であり動物分布の境界線「渡瀬ライン」もある。また、その変化から地球温暖化を 実感できる場でもある。民俗文化的にも南方文化・大和の文化両方の特徴(風習・民具他)がみられ興味深い。
    また、来年7月の日食では、そんなトカラが大きく注目されそうだ。 トカラに限らず広く鹿児島県内に話を広げ、日食の仕組みや何が起こるか?
    その観察方法、などを解説する。
  • 2008年10月27日(月)第91回 多島圏研究センター研究会

    「現代日韓関係の一断面−「歴史の記憶」をめぐる近年の動向を中心に−」
    日時: 平成20年10月27日(月)16時30分から
    会場: 総合教育研究棟5階ホール

    平井 一臣 (法文学部)
    【要旨】  1990年代以降、日韓関係は急速に緊密化の度合いを増し今日に 至っている。かつての「近くて遠い国」と言われた両国間関係は、現 在では「近くて近い国」へと変化していると言ってよいだろう。この ような両国の接近は、韓国の経済発展と民主化、サッカー・ワールド カップ日韓共催、そして「冬のソナタ」以降の「韓流ブーム」など、 いくつかの契機によって促されたと言える。
     しかしながら、日韓関係が全ての面で良好であるわけではない。と くに「歴史の記憶」をめぐる問題は、両国間に緊張状態をしばしば生 み出している。近年の歴史教科書問題にせよ、竹島(独島)問題にせ よ、いずれも両国間の「歴史の記憶」の差異と深く関わった問題であ る。報告者は、2005年4月〜06年3月の1年間、そして2008 年8月の1ヵ月間、韓国に滞在する機会を得た。韓国滞在の際の経験 も交えながら、両国間の「歴史の記憶」をめぐる近年の動向を中心に 報告したい。
  • 鹿児島大学 多島域フォーラム・シンポジウム

    「鹿児島の海の生きものたち」
    クラゲ・ヒドロ虫・イソギンチャクの世界
    日時 : 平成20年9月27日(土)13:00−17:35
    会場 : 鹿児島大学総合教育研究棟2階203講義室

    水中を漂うクラゲ(鉢クラゲ類やヒドロ虫類の水母)は、「海に咲く花」であり、有性生殖のために卵と精子を作るものです。それによって産まれた幼生は、多くの場合、目立たぬ岩陰などに付着して、ポリプとなって、ひっそりと暮らしています。中には、ポリプが巻貝の殻や魚の体表面に付着する種もいます。黒潮に洗われる透明度の高い海岸では、サンゴやイソギンチャクの仲間が群生し、「海中の熱帯林」をつくります。そこには様々な小動物や藻が住み着き、その共生関係が、高い生物生産力をもたらしています。これらの刺胞動物(腔腸動物)は、刺胞毒をもつために海水浴場では嫌われますが、海の生態系の中では、たいへん重要な役割を果たしているのです。鹿児島の海の豊かさを象徴する多様な刺胞動物の世界を紹介します。
    プログラム    司会:佐藤正典(鹿児島大学理学部)
    13:00−13:05  開会のあいさつ:冨永茂人(多島圏研究センター長)
    13:05−13:25  趣旨説明:鹿児島大学における刺胞動物研究
                佐藤正典(鹿児島大学理学部)
    13:25−13:45  基調講演:鹿児島の海の美しい動物たち
                田畑道広(かごしま水族館)
    13:45−14:20  記録映画上映「タマクラゲの発生」(東京シネマ新社)
               1986年故柿沼好子鹿児島大学理学部名誉教授学術指導
               2008年追加撮影・完成
               解説:岡田一男(東京シネマ新社)
    14:20−14:35  (休 憩)
    14:35−15:05  昭和天皇が研究されたヒドロ虫類
                並河 洋(国立科学博物館)
    15:05−15:25  他の生物と関わって生きるヒドロ虫
                岩尾研二(阿嘉島臨海研究所)
    15:25−15:45  ヒドロ虫類の着生・繁殖戦略
                山下桂司(株式会社セシルリサーチ)
    15:45−16:00  (休 憩)
    16:00−16:20  鹿児島湾におけるミズクラゲの生態
                三宅裕志(北里大学)
    16:20−16:40  イソギンチャクと共生藻の世界
                尾崎和久(株式会社日本エヌ・ユー・エス)
    16:40−17:00  南西諸島のサンゴ礁:主役は腔腸動物と共生
                島 達也(有限会社ブルーマリン)
    17:00−17:15  コメント:塚原潤三(鹿児島大学名誉教授)
                  市川敏弘(鹿児島大学理学部)
    17:15−17:30  総合討論
    17:30−17:35  閉会のあいさつ:津田勝男(多島圏研究センター交流企画部会長)
  • 2008年7月14日(月)第90回 多島圏研究センター研究会
    Zayas, Cynthia Neri (フィリピン大学・多島圏研究センター客員研究員))
    「A cross-cultural study of fishing communities - Relic fishing gears in the Visayas, with references to Jibei, and Kobama islands-」
    16時30分 総合教育研究棟5階

    In one study I did in Southern Philippines on the Bajaus, a Sama speaking people known as sea gypsies but are now settled in water villages, I found that the memory of their life ways have been inscribed in the idea of a kauman - a compound of houses on piles, linked by footways and thereby forming a cluster of extended family with matrilocal residence rule. These compounds to my mind are relics of maritime civilization as they reflected how mooring groups of extended family-boat houses would roam around and fish together and moor at a common mooring sites. The groups are not however isolated from each other but are linked by kinship ties to other mooring group of boat houses in the archipelago. These groups formed a “community” of mobile peoples of the past.
       In another study I did in the Visayas, Jibei Island and Kohama Islands, I tried to retrieve memories of life ways of island communities in the ways they manage the ishihimi, stone tidal weir. Ishihimi are stone barricade traps built on gradually sloping reef tides. These are constructed in a semi-circular manner in such a way that when the tide rises it will overflow through the barricades of stones thereby trapping the accompanying sea animals when the tide recedes. It is said to be a copy of a natural hollow in the sea where anyone can simply gather during low tides. The foremost researcher of ishihimi, Nishimura Asahitaro, considers the ishihimi the living fossils of fixed fishing gear with ancient origins.
        This presentation will try to bring in three ideas deduced from the study of ishihimi as (1) a relic material culture linking Asia and the Pacific Islanders, (2) ishihimi as umi no hatake and the idea of the commons, and finally (3) how ishihimi came about and what they signify at the present time.

  • 2008年7月3日(月)第89回 多島圏研究センター研究会
    石原久子(唄者)
    前山真吾(囃子)
    「奄美シマウタの重鎮と期待の若手唄者によるシマウタの夕べ」
    16時30分 総合教育研究棟5階

     現在、多島圏研究センターでは、「南北連続‘新・道の島々’センサーゾーン 拠点形成」というプロジェクトを鹿児島県島嶼を対象に行っています。このプロ ジェクトの一環として、しまうた演奏会を企画しました。
    迫力と細やかな情感をあわせもつヒギャ唄の重鎮・石原久子さんと、本年度 「奄美民謡大賞」最優秀賞受賞の期待の若手・前山真吾さんによる、しま うた演奏会です。

  • 2008年5月19日(月)第88回 多島圏研究センター研究会
    田口 一夫 (鹿児島大学名誉教授)
    「黒マグロはローマ人のグルメ」
    16時30分 総合教育研究棟5階

     古代地中海人とサカナ文化との関わり合が,10000年以上も昔からで続いていた ことを述べ,なかでも黒マグロに寄せる彼らの愛着を強調したい。
     この海では安価で大量に獲れるサカナは住民にとり必須の食品であり,その極み をギリシャ・ローマの饗宴に見ることができる。当時の古典にはサカナ物語がかなり 含まれており,それも阿漕な魚屋を懲らす話は勿論,漁業から料理の講釈まで詳 しい。わが国の魚醤と似ているガルムは魚の発酵食品であるが,ローマ人には人気 の高い調味料となったので,生産量を増やすのに魚の多いイベリア半島の各地に 工場を建てた。ガルムの味に紳士は蘊蓄を傾けたが,マグロの入ったイベリア産の 品を殊の外珍重した。
     エーゲ海の孤島の巨大洞穴ではマグロの骨から釣針を作っていた。レバントの民 は漁具を周辺国に売り,大マグロを舷側に吊るし葡萄酒色の海を渡って交易に励 み,イスタンブールの金角湾ではマグロを手掴みできた。男たちが漁の初めに唱える 文言は,ヘロドトスの「歴史」にある神託からの伝承と聞いた。
     8000年昔のマグロの岩壁画を初めとして,沿岸各地に残されたモザイクと壺絵に 描かれた多数のサカナの絵は魚類図鑑さながらで,しかも正確に描かれているだけ に魚との付き合いの伝統を実感させる。        

  • 2008年4月21日(月)第87回 多島圏研究センター研究会
    本田硯孝(徳之島郷土研究会会長)
    「奄美における島唄・島口の伝承事例」
    16時30分 総合教育研究棟5階

     奄美の島唄・島口の伝承についての概略と徳之島の事例を報告する。今回は奄美の小中学校87校を訪問して伝承の概略を御教示いただいたものの、現段階での中間報告をする。結果言えることを推測すると次のとおりになる。
     @島唄は、ほとんどの学校で取り組まれているが、島口は島唄を通した間接的な伝承となっている。
     A島唄の伝承も多様であるが、(ア)喜界島、奄美大島(加計呂麻島・与路島・請島を含む)、徳之島までと(イ)沖永良部島、与論島は違っている。多様であり一概に言えないが、(ア)では「行きゅんにゃ加那節」「よいすら節」「稲する節」「八月踊り(呼称は多様)」等々が取り上げられ奄美の古い島唄へも近づいている。(イ)では「えらぶ百合の花」「ヤッコ」「あしみじ節」「なちかしゃの島」等々であり琉球民謡へ近ずいている。
     B島唄に新民謡を入れる場合、「大島育ち」などは広い範囲で歌われている。
     C八月踊り(呼称は多様)が運動会で踊られている学校が多い、子供たちが唄まで歌うことが望まれる(ア)。沖永良部島の知名町では「ヤッコ」、和泊町では町民体育祭踊られる唄と踊りが運動会でも歌われる「サイサイ節」。
     D島唄の発展として「六調体操」が創造され体操しながら島唄5曲が覚えられる。「天の白雲節」「えらぶの子守唄」「稲すり節」「ワイド節」「六調」である。
     E地域社会(公民館講座等)の人々との関わり・働きが大きい。

  • 2008年3月10日(月)第86回 多島圏研究センター研究会
    田島康弘(鹿児島大学・教育学部)
    「奄美の郷友会について」
    16時30分 総合教育研究棟5階
     郷友会とは一般に都市部で形成される同郷出身者の会のことであり、同郷団体とい われることもある。従って、郷友会が成立するためには地方から都市部へのかなりの 数の人の移動、移住が前提になっている。
     筆者は社会地理学の立場から、こうした移住や都市居住に関する諸現象、およびそ こに含まれている諸問題に関心をもつようになり、その実態把握や問題解明のために、 これまで調査を続けてきた。
     今回の報告ではとくに、奄美の郷友会の中では最も代表的なものと思われる関西の 郷友会、やや意外とも思われる名瀬市の郷友会、それにアメリカ合衆国の奄美郷友会 についてそれぞれ報告すると共に、奄美以外の郷友会、同郷団体とも比較し、奄美の 郷友会の特色についても考えてみたい。
  • 多島域フォーラム・シンポジウム「太平洋島嶼域における人と自然の共生 -学融的研究の試み-」

    グローバル化が進み、多くのものがあふれている現在、われわれは豊かな社会生活を送っているように見える。しかし、一方で環境問題の多発や生物多様性の危機など私たちは自然環境との新しい共生の仕方が求められている。  伝統的な社会では多くの場合自然環境と共生した生活を送ってきたが、現在は多くの社会でこの様なシステムは崩壊しつつある。しかし、太平洋島嶼地域にはまだ伝統的な社会経済システムが存在し、そこでは自然環境と共生した生活を現在も行っている。このような伝統社会をもう一度見直すことにより、新しい人と自然の共生システムを形成することができるのではないだろうか。 本シンポジウムでは太平洋島嶼における人々の自然との関わりについて、学際研究を越えた学融研究という視点から、今後の自然とのかかわりについて考えます。 入場は無料でどなたでも参加できます。

    2月23日(土)13時00分〜
    場所:鹿児島大学 総合教育研究棟2F
    プログラム
    司会: 寺田竜太(鹿児島大学水産学部)
    13:00−13:05 開会のあいさつ 桑原季雄(鹿児島大学法文学部・プロジェクト部会長)
    13:05−13:15 趣旨説明  河合 渓(鹿児島大学多島圏研究センター)
    13:15−14:15 基調講演「アジア・太平洋のsato-umiをめぐって」秋道智彌(総合地球環境学研究所)
    14:15−14:30 休憩
    14:30−14:40 報告概要説明 河合 渓(鹿児島大学多島圏研究センター)
    14:40−15:10 報告1 「キャッサバ栽培からみるフィジー農村社会」西村 知(鹿児島大学法文学部)
    15:10−15:40 報告2 「フィジー沿岸の海洋生態系と水産資源」小針 統(鹿児島大学水産学部)
    15:40−16:10 報告3 「学融研究から見た人と自然の共生」河合 渓(鹿児島大学多島圏研究センター)
    16:10−17:10 総合討論  コメンテーター:秋道智彌(総合地球環境学研究所)・佐藤正典(鹿児島大学理学部)
    17:10−17:15 閉会のあいさつ 八田明夫(鹿児島大学教育学部・交流企画部会長)
    基調講演
    アジア・太平洋のsato-umiをめぐって
    秋道智彌(総合地球環境学研究所)
    日本では、地域固有の人と海とのかかわりを考える上で、里海という考え方が提起されている。里海に代表される、海洋資源の共有制度や住民の自発的な参加を可能にする社会のしくみが資源の持続的な利用を可能にし、地域の力を育む重要な考え方であることが認識されるようになったのである。本講演では、東南アジアから太平洋にかけての地域における事例を元に、サンゴ礁海域の資源利用について、地域ごとに育まれてきた慣行やその問題点を指摘し、海外におけるsato-umiについて考えてみたい。 とくに取り上げたいのは、サンゴ礁の資源を共有して利用する方式の意義と、外部からの経済的・技術的な影響による変化・変質の問題である。魚類のように移動する資源と、貝類のような底生資源とでは、管理手法に違いがあるのは当然である。また、管理を進める上での合意形成は社会や文化のあり方により異なるので、その異同性と歴史的な変化を明らかにすることもきわめて重要である。アジア・太平洋のsato-umiにわれわれはいったい何を学ぶことが出来るだろうか。
    報告1
    キャッサバ栽培からみるフィジー農村社会
    西村 知(鹿児島大学法文学部)
    本報告の目的は自然と人びとがバランスよく調和するフィジーの自給自足的性格の強い農村におけるキャッサバの生産、分配の現状を紹介することによって、商品経済化された社会に住むわれわれが人と自然の共生のありかたに対して何かを学び取ることである。 ナイカワンガでは、先住民土地委員会(NLTB)の制度を可変的に運用することによって自然資源を村人が有効に利用してきた(外部者の受け入れ、タンブナニュー)。そしてこの制度の可変的浸透性を可能としたのが様々な生活の場で欠かせないカバというフィジー特有の文化であった。 現代人が人と自然との共生に関してフィジー、ナイカワンガから学ぶことができるのは地縁を基礎とした人びとの可変的浸透性を可能とする制度の構築と合意の場の形成であろう。様々な世代、職業、価値観を持つ人々を一定の方向(行動)に導くための制度、またその制度が運用されるための場である。この「場」は新しく作るべきものあるいはその地域にもともとあった普通の多くの人びとが集まる場(例えば公民館、運動会、祭)の活性化、再生化によって生まれてくるであろう。
    報告2
    フィジー沿岸の海洋生態系と水産資源
    小針 統(鹿児島大学水産学部)
     南太平洋島嶼域の村落をモデルとして、海洋生態系と水産資源利用の特徴を把握し、この地域に独特な生態系に配慮した水産資源管理(Ecosystem based management)のありかたを模索した。この村落では、マングローブからサンゴ域に至る環境変化に富む海域を広く漁場としていた。単純な漁法でも多様な魚類・貝類が漁獲されており、貝類は年齢性別を問わず容易に利用できる水産資源であった。これら漁獲された魚類・貝類はこの村落で主なタンパク源となる重要な食糧資源であるが、村落内で消費・分配される魚類に対して、貝類は市場へ流通するので経済的価値の高い水産資源でもあった。これらのうち、村落で最も利用頻度の高い貝類について実験を行ったところ、漁場の生態系機能を健全に維持する能力を持っていることが分かった。複雑な海洋生態系を形成する太平洋島嶼域だからこそ、漁場の生態系にも配慮した水産資源管理が必要かもしれない。
    報告3
    学融研究から見た人と自然の共生
    河合 渓(鹿児島大学多島圏研究センター)
    近年では地球温暖化に代表されるように環境問題が大きく取りざたされるようになり、今後の人と自然のあり方が、あらためて問われるようになってきた。本報告では、上記2つの報告をもとに、フィジー沿岸域を対象にして人と自然の係わり方について検討する。また、本目的に対して、学融研究という考え方を用いて検討する。多くの地域研究では学際的研究方法がとられ、多様な学術的視点からひとつの地域を対象に研究がなされている。しかし、この場合においては一つ一つの研究において、その関連性があまり見られないことが多く、異なる視点の関連性について議論することが難しかった。これに対し、私たちはそれぞれの研究成果を金銭化するという方法を用い、同じ単位を使うことで異なる視点(海洋生物学・海洋学・経済学)の成果を融合し研究を行った。
    関連サイト: 南太平洋島嶼国にみられる伝統的社会における人と自然の共生システム
  • 2008年1月28日(月)第85回 多島圏研究センター研究会
    ミクロネシアにおける日本について
    ダーク・バーレンドルフ (多島圏研究センター客員教授・グアム大学教授)
    16時30分 総合教育研究棟5階

    「要旨」 (要旨) ミクロネシアでの日本の存在は、ミクロネシア人にとり重要で影響力のあるものであったが、ミクロネシア人自身を除いて、忘れられている。通常、日本の関与期間は大きく2つに分けられている。(1)鹿児島を含む日本中から富を求めて島に来たトレーダー時代と、(2)日本が第一次世界大戦の時(1914年10月)ドイツから押収し、後に国際連盟委任統治した1914〜1941の植民地期間である。因みに、ドイツのグアム(1898年米西戦争で米領)を除くミクロネシア所有は、スペインから買ったものであった。
    19世紀後期日本では国会成立後、国会議員の間で、南進論と北進論のいずれにくみするのかは重要な議論となった。南進論では、米国を将来の敵と見なし、海軍強化論を主張。北進論は、中国・ロシアを将来の敵と見なし、陸軍強化論を主張した。当時の国家拡張論を理解する上で、両概念と両者の関連を理解することは重要である。
    日本のトレーダーはドイツからの強固な抵抗に遭遇した。ドイツはパプアニューギニアの植民地から北上し、1885年にはマーシャル諸島を保護地域とした。それからカロリン諸島・マリアナ諸島と移動し、離島にある日本のミニ商社を追い出そうとした。森小辨は、1890年代にトラック諸島(現チューク)に来て、残りの人生をそこで送った人だが、すでに南洋貿易支店主任として、一番の重要人物であった。ドイツが日本のトレーダーを追い出そうとしたときに、あまりにも重要・有力であったので、国策会社Jaluit Gesellschaftの契約先代表として彼を確保する策を採った。
    第一次大戦時、日本帝国海軍は3週間でミクロネシアを支配し、ドイツ人捕虜を送還した。戦後、日本はベルサイユ条約により国際連盟委任統治を開始した。





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